マニアックな旅の思い出 : 比田勝港 in 2011 (と、厳原港 in 2013)
このブログの本来の趣旨『日本人が滅多に行かないところへ』。
私自身海外にいる間に、日本人に出会うと、安心どころかガッカリするタイプ。
そんな中、とっておきの日本人マイノリティー体験を振り返ってみる。
そもそも、比田勝・厳原とは
いずれも対馬の主要な街 or 町。
対馬空港に近い厳原は、対馬(合併して全域が対馬市)の中心として比較的知名度が高いかもしれない。普通の日本人が、対馬に観光するなら拠点となるはずの街である。
対して比田勝は、対馬の北端。元々は上対馬町であった。対馬空港から車で2時間の、より韓国に近い場所である。
普通に考えると、比較的見所も多い厳原に観光客が殺到しそうだが、実際は比田勝からの韓国人入国者が、厳原にダブルスコア以上の差をつけて多かったようである。
それどころか、最盛期の比田勝港の入国者は、全国の出入国港(空港含む)中8位。これは博多港をも上回る。一桁違ってくるものの、7位以上は名だたる国際空港(新千歳・中部・那覇等)ばかりなのである。
2011年、釜山から対馬比田勝日帰り帰国
今や韓国人殺到で有名になった対馬・比田勝。2011年ごろは、まだそれほど注目はされていなかった。
この時の旅程は香港からの大韓航空夜行便(レッドアイ)で仁川へ。さらに金浦から国内線で釜山。そして釜山12:00発のビートルで比田勝へ。
このビートルは、2011年に運航開始したばかり。これまでも、釜山と比田勝を結ぶ航路はあったものの、実質韓国人専用だった。対馬民ではない日本人が比田勝から気軽に出入港できるようになったのは、おそらくこの頃が最初だったのではないかと思う。
比田勝とは全然関係ないが、まずは香港から。
"People. They make an airline."の広告ジャック。このシリーズは好きだった。
香港から仁川行きのKE608便。この便は3回も乗ったのでいろいろと語りたい(なぜ夜中にビビンバがでるんだ、とか)のだが、残念ながらほとんど写真が残っていない。
こんな距離なのに、大韓航空ご自慢のA380か、B777が充当されていた。
行き先は比田勝ではなく、単に「対馬」となっていた。そして赤いパスポートを使っていた頃が懐かしい。
当時はブログを始めるつもりもなかったので、残念ながら残っている写真は少なめで、いきなり比田勝港到着。
乗客は10名程度で、日本人は私と、地元対馬の方の2名だけ。
2018年頃であれば、きっと満員であっただろう。それでもそのうち日本人は1~2名だけであったかもしれないが。
入国審査は瞬殺。対馬民は税関もスルー、私に対しては長い長い取り調べ開始。
どこから来た、何しに来た(日本への帰国なのに)、この後どうする、等等。
- 香港から来た
- 比田勝というところに来てみたかった
- 2時間後に釜山に帰って、明日東京へ戻る
どう考えても怪しい(笑)
みっちりと荷物を確認され、靴の中まで見られた上でなんとか釈放。その間に韓国人は全員入国し、港には私だけが取り残された。帰国なので絶対に入国拒否されることはないものの、所要時間10分ほどかかった記憶がある。
やっと釈放。天気の悪い日だった。
税関の取り調べ官に「2時間弱しかないけど、どこか見所はありますか?」と聞いたところ、お勧めされたのは上対馬温泉。タクシーで1000円くらい。
温泉で少しゆっくりし、その後は比田勝の街を散策。
お寿司屋さんで、遅めの昼食(お店、よく開いてたなぁ)をいただきながらの会話は、
「釜山からの船、10人くらいしか乗ってませんでしたね」
「あぁすぐになくなるんだろうね」
地元の人も、その後とんでもない数の韓国人が殺到するとは思っていなかったのだろう。
港に戻り、15:10の釜山ゆきの船を待つ。
このターミナルは現存せず。そしてこの写真の建物は実は旧国内線ターミナルで、入国機能は隣のプレハブっぽい小屋で行っていた。プレハブっぽい小屋の写真が残っていないのが残念だが、気になる方は「比田勝港 プレハブ ターミナル」などとおググりください。
最後の最後に、私服の警察(公安?)職員から職務質問。
世間話に始まり、「念のためパスポート見せて頂けませんでしょうか」。
何のための念のためかはわからないが、あぁ私、完全に不審者としてマークされていたのだなとここでやっと理解。
日本人でありながら、とても違和感とアウェイ感を覚えた、たった2時間の日本滞在。
※比田勝(港)の詳細を知りたい方は、以下の資料を。
https://www.mlit.go.jp/common/001269865.pdf
2013年、厳原港から帰国 (投稿済み)
日本人にとってはマイナーな入国地点、比田勝をクリアしたからには、厳原からも帰国してスタンプをゲットしたい。そんなコレクター意識から、2年後にまた、釜山から対馬へ。
行きは成田から、今はなきデルタの以遠便で。
帰りの搭乗記は、 既に記事にしてあった。
比田勝での取り調べ10分に対し、厳原では密室で30分、徹底して取り調べられた。5分10分ならともかく、30分になるともう勘弁してよ、何なら服全部脱ぐから好きなだけ調べなよ、という気持ちに。
そんなこともあり、税関に取り調べられた思い出しかない対馬。きっと本当に、この航路を使う地元民以外の日本人は少ないのだろう。もう人生で、これら二つの港を使うことはないと思うが、、、
ちなみにこの直後くらいから、似たような大きさの船に乗って、似たような大きさの東南アジアのマニアックな国境を「日本人なんて珍しいねぇ」と言われながら越える、本格的なマニアック旅人に進化して行ったのでした。
ちなみに
空港含めた、各入国地点の統計情報は、以下のURLで公開されている。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_nyukan.html
入国者数でいうと、
2008年 1月 比田勝 2374 (うち日本人 20) 厳原 3269 (うち日本人 16)
2011年11月 比田勝 4101 (うち日本人 161) ← うち1名が私
厳原 6215 (うち日本人 56)
2013年 4月 比田勝 8972 (うち日本人 77)
厳原 6545 (うち日本人 89) ← うち1名が私
2019年 6月 比田勝 23327 (うち日本人 153) 厳原 9107 (うち日本人 23)
2019年12月 比田勝 4362 (うち日本人 149) 厳原 0
2020年3月 比田勝 170 (速報につき日本人数不明) 厳原 0
入国者数を約10年で約10倍にした比田勝、2019年中のたったの半年で、日韓関係悪化で私が訪ねた2011年の水準に逆戻り。厳原に至ってはずっとゼロ。
コロナの影響を差し引いても、観光業の皆様は本当に大変だとお察しします。